14.告白

　セオドア様の執務室の窓から射し込む陽が、深い木目のデスクをやわらかく照らしていた。

　カレンはソファの縁に腰かけ、小さな手をぎゅっと握りしめながら、まっすぐに父を見つめた。

「お父様、私、教会で魔法を学んできます。」

　その声は、不思議なほど落ち着いていた。

　隣で見守るジャスミンは、カレンの決意の気配を感じ取り、静かに背を支える。

　デスクの向こう側では、セオドア様がペンを置き、しばし言葉を失っていた。

　眉間に寄る皺の奥で、父親としての迷いが残っている。

　しかし彼でさえ、この決断を止めることはできなかった。

　いつかこんな日が来ることを、心のどこかでわかっていたはずだから。

「そうか…。」

　低い声が室内に落ちる。

「ジャスミンも連れて行くわ。」

「ジャスミンも？」

「うん、一緒に行ってくれると約束してくれたの。」

「ジャスミン、それでいいのか？」

「はい、もちろんです。」

　私はセオドア様の問いかけに深く頷いた。

「セオドア様の毒味役はポーラさんだけになりますけれど、よろしいでしょうか？」

「もちろんだ。

　カレンが独り立ちするのなら、もう僕に毒味役はいらない。」

「でも、セオドア様、それで大丈夫なのですか？」

「ああ、問題ない。

　本当はポーラも行かせてやりたいところだが、侍女を何人も伴えば、教会の目も厳しくなる。

　ジャスミンだけがいいだろう。

　だが、教会はここでの暮らしのように安全ではないかもしれない。

　もし、何かあればすぐに帰って来なさい。

　そこからは僕が対処するから。」

　彼の声には、いつもの冷静さの奥に、娘を案じる柔らかさがあった。

「はい、わかりました。」

「カレン、部屋に戻りなさい。

　僕はジャスミンに話がある。」

「はい、お父様。」

　カレンが部屋を出ていくと、扉が静かに閉まり、残されたのは二人だけ。

　午後の光が少し傾き、執務室に淡い影が伸びていく。

　セオドア様はしばらく沈黙したまま、机を見つめていたが、やがて顔を上げた。

「ジャスミン、カレンを頼む。」

「はい、セオドア様。」

「一つだけ君に話しておきたいことがある。」

「はい。」

「君はジュリアなんだね。」

「…。」

　一瞬、空気が止まった。

　セオドア様は苦笑のような微笑を浮かべ、視線を窓の外に向ける。

「返事はいらないよ。

　最初は僕もそんなことがあるのかと疑ったけれど、君は魔力量が誰よりも多かった。

　だから、こんなことができたんだね。」

　その声は不思議なほど静かだった。

「でも、どうしてそれを？」

「君と僕はあれ以来、ワインを飲まない。

　本当は見るのも嫌なんだろう？

　ユーリーが持って来たワインを見つめる君の瞳には、僕と同じ恐怖が宿っていた。

　君の命を奪ったワインを恐れる気持ちは、僕と君に共通する思いなんだよ。

　僕は今でも、あの日の光景が蘇っては、苦しくなる。

　僕の腕の中で、血とワインに濡れ、君を失ったあの日を。

　だから僕は二度とワインだけは飲まない。

　時が経とうとも、この思いが消えないことを理解する者は少ない。

　何よりも、カレンを見る時の君の目の優しさは、母親だと物語っている。

　そのあたたかさで、ようやく確信したんだ。

　ポーラもワインを恨んでいるし、カレンへ向ける目は保護する使命に燃えた目だ。

　だが同じ思いであるように思えて少し違うのは、君も感じているだろう。」

「そうね。」

「前に僕はジュリアを愛していると言ったね。

　その思いは今も変わらない。

　君にはいつも僕より大切なものがあるけれど…。」

　セオドア様の視線が、ゆっくりと私に戻る。

「今更こんなことを言って悪かった。

　以前は君に、こんなにも愛があるだなんて気づかなかったんだ。

　魔法にしか興味がない女性だと思っていたから。

　でも君は、カレンをとても愛していて、そんな君がそばにいてくれることが嬉しいんだ。

　今もなお、毒の脅威が完全に消えたわけではないし、カレンを一人で育てることが不安だったから。

　だから君がどんな姿であれ、再び戻ってくれたことに心から感謝しているよ。

　ありがとう。

　今はまだ、カレンのことで心がいっぱいかもしれないが、いつか彼女が巣立った時、僕と共に生きてくれないか？

　返事はその時でいい。」

「…考えてみるわ。

　で、いつから？

　いつから私だと疑い始めたの？」

「ボールで遊び出した頃からかな。

　普通なら責任を背負わされるのが嫌だから、子供のためだとはいえ、危険を承知で外に連れ出そうと思わないさ。

　でも、違和感を持ったのは、君がカレンの毒味役をやると、言い出した頃からだよ。

　若い女性が、周りの男に目を向けず、見ず知らずの子供と男の毒味役をかってでるはずがない。

　命をかけるなら、そこには理由が必ずあるからね。」

「何故わかっていたのに、私に言ってくれなかったの？」

「最初はカレンを連れ去るつもりではないかと警戒していた。

　君が僕を信用していないのは知っていたし、ナニーとして雇い、見張っていた方が安全だと考えたんだ。

　でも、途中から気づいた。

　君はもう、魔法が使えないんだと。

　だから、ここにい続けたまま、カレンのそばで見守ることを選んだ。

　そうなんだろ？」

「ええ、そうよ。

　転生した時に魔力を使い切ったの。

　だから、今はただの人間よ。」

「やはりそうか。

　君がいれば、カレンは教会に行かずに済むかと思ったけれど、そうもいかないんだね。」

「ええ、残念ながら。」

「それでもいい。

　カレンをそばで見守り続けてくれ、頼む。」

「大丈夫、最初からそのつもりよ。」

　そう言って、部屋から出て、自室に戻る。

　途端に、身体の力が抜けて、そのままドアにもたれかかった。

　セオドア様が、私だと気づいていた？

　しかも、ずっと前から。

　そんな素振り、これっぽっちも見せていなかったのに。

　本当に貴族の男性って、感情を見せなさ過ぎる。

　私のことも「好きだった。」って、言ってたけれど、相変わらずその思いは表情に現れない。

　どこまでも掴みどころのない人ね。

　前世では妻、今世ではナニー、けれどどの立場から見ても、彼が私を愛しているなんて見えやしない。

　確かにセオドア様は私を尊重してくれているし、トラウマのワインも避けてくれている。

　あれは、私への思いから来るものなの？

　なんてわかりにくい人。

　けれど、これからは彼の目を気にせず、私は私のやり方でカレンを守れる。